2009年の国際会議に参加してきました。

 私のかかわっている難病の患者会の本拠地はアメリカにあります。2年に一度ヨーロッパ諸国で国際会議が開かれます。
私は夫を病院に預かってもらっていますので、今回の国際会議に参加することができました。
約1000人という参加者で大会議となりました。

2009年9月11日の19時の飛行機で成田を発ち、9月11日の午前11時にバンクーバー空港に到着しました。
飛行機の中では眠ったのかどうか覚えていません。現地に着いた時には眠くなかったから眠ったのかな?

会議の初日には、カナダの患者会の会合に、かぁ〜のさんと紛れ込んでしまいました。でも、それがラッキーでした。
私の隣に座っていた女性が「日本からですか?」と声をかけてくれました。
なんと名札をみたら「アリス・ウエクスラー」さんでした。

香織ちゃんが来ているか聞かれただけなんだけど私は大感激でして舞い上がってしまいました。

 アリスさんは、私たちの患者会とは深い関係で、数年前に来日されて患者会の会合の時に講演してくれました。
私はまだ夫が在宅療養でしたので、ヘルパーさんが入ってくれる時間だけしか自分の時間がありませんでした。
アリスさんは勿論私の事は覚えていませんが、あの時は確か自己紹介をした覚えがあります。懐かしく思いました。

そんな感じで嬉しい出会いから始まり、各セッションに分かれて会議がはじまりました。

 私は参加者の中に発症している人をみて、あっ!! 私 ひとりじゃない! そう感じました。
同じ病気だから症状は同じで当然だけど、あの人もあの人の家族も一緒に闘っている頑張っているんだなと思いました。
 あの人の家族は優しく接してくれているんだろうか?爆発があるんだろうか?
精神症状にはどう対応しているんだろうか?閉じ込められたりしていないんだろうか?精神状態はどのくらいなのかな?
こだわりの症状はどうなのかな?
これからどんな変化が待っているんだろうか?家族は耐えられるのかな?

そんな心配と何だか分からない不安が私の中に募りました。

今日はどのセッションに参加するか思案中の3人です
 
会議は9時スタートです、その前に朝食を摂って今日の計画を。
右から香織ちゃん、彼女はTVにも出たしラジオにも
出没しているので顔は売っておきましょう。
左は若年性の会の代表者です。

  (゚゚)〜ん? 真中は?

 スケジュール表を見たら、会議は朝9時から
夕がた6時半まで。
沢山のセッションがありました。
ケア・この病気から他の病気を学ぶ・終末期の過ごし方。
他まだまだたくさんあります。全部参加したい項目ばかりです。

 香織ちゃんは、東京大学医科学研究所内に研究室を持つ
社会学博士です。容姿端麗頭脳明晰とはこのことか〜〜
とにかく頭の回転の素早い事といったらハンパではありません。
 それと司会者の方が言っていましたが、研究者は自分がかかわらなくてもいいのに、薬の研究や環境の研究、医療の研究など
積極的にかかわってくれて一生懸命に研究を進めてくれる研究者に感謝します。香織ちゃんやひろし先生もその中の研究者です。
 私は研究者にも感謝していますし、夫を預かってくれている病院やそのスタッフの方々にも感謝しています。
この会議に参加できたのも、夫が病院に入っていてくれて日々ガマンの日常を送り、病院スタッフがケアしてくれているので
私に自由な時間を与えてくれているからです。
会議会場の風景です。
 大きなホテルで開催されました。
日本のホテルで例えると、結婚式場のような大広間を
最初は二つの部屋に分けました。
 そして私は最初はケアのセッションに参加しました。
ところが、そのセッションは大人気で通路まで人が
溢れていました。

 やはり患者さんと家族の興味深いセッションですので
開催担当者もプレイスの取り方を失敗したなと思ったらしいです。

 サイエンスのセッションは、ひろし先生にお任せでした。
ひろし先生は医学博士で6〜7年前までは、マウスを使って
細胞の研究をしていました。勿論いまでも細胞学には
とても詳しい先生です。
 香織ちゃんが私に「ノート貸して」と言って、私のノートに同時通訳のごとく会議の内容をメモしてくれました。
そのメモで私が参加しているセッションはこの問題に取り組んでいるセッションなんだと少し安心しました。
 香織ちゃんのメモはビデオの早送り見たいに早いのなんのって、しっかり漢字は使ってるし専門用語もシッカリと
書きとめてくれて、時々英語も交じっていましたが、私も少し英語を勉強していたのでなんとなく解りました。
  解らない英語は、帰国してから英会話教室の先生に教わって文章がまとまりました。
私の通っている英会話教室のkaori先生がとても親切に教えてくださいまして、カナダに行く前には、挨拶や私の聞きたい事を
書いていったら英文にしてくれて、それを私は練習して行きました。私が覚えが悪くて十分に使えなかったのは残念です。
しかし・・・・私の周囲の かおり と言う名前の人は優れている人ばかりですねぇ、親戚にも一人いるのですが彼女も優れ者です。
私たちの宿泊したホテルや会場のホテルは海沿いにありました
 2日目の夜です。会場の近くには、スタンレーパークと言う
大きな公園があります。公園内は自転車とかタクシーで
移動しないと歩き切れません。

 その公園の中に水族館があります、そこで立食の
パーティーがありました。綺麗なお魚たちと一緒にワインを
飲み軽いお食事をしました。

 右がアリスさん(アメリカ)
左がクリスティアーニさん(ドイツ)
香織ちゃんが通訳してくれて何とか会話に入り
笑顔いっぱいです。 
 「あにちゃんお鮨があるよぉ」 「…(〃゚Д゚〃)!? えぇ?水族館でお鮨ぃ」 それって残酷ぅ〜〜〜〜
まさかねぇ、やっぱりそのお鮨とやらは、野菜をご飯で巻いたものでした。食べ物は沢山の種類がありましたよ。
ワインやビールなどもいただきました。 本当に綺麗なお魚が泳いでいてとても良い雰囲気のパーティーでした。

 そして水族館の受付にいた少し高齢の女性が私に話しかけてくれました。彼女の息子さんが数年前に日本の熊谷(くまがや)
に住んでいたそうです。5年間日本で働いていたと言っていました。私が日本人と知って彼女の英語はとてもゆっくりで
丁寧に話してくれたので会話ができました。心遣いがうれしいですね。
会場ホテルの朝食です。
 これは、ひろし先生の朝食です。バイキングで色々ありました。
私たちも好きなものを食べましたよ。

 私は、スクランブルエッグとソーセージが好きなので
そればっかり食べていました。
グリーンアスパラも美味しかったです。

 ホテルのコーヒーはまずいよぉ〜〜飲まない方がいいよ!
って聞いていたので、コーヒーは2種類あってスターバックスの
コーヒーを飲みました。

 私はいつもお水を飲んでいましたねぇ。
 会場ホテルには、朝食・昼食のバイキングと、クッキーやアイスクリームやケーキなども常に置いてあって食べ放題でした。
私は確か3日目くらいだったでしょうか、朝食を摂ってからそのあと何も食べられなくなり、コーヒーも水も飲めなくなりました。
これはやばいなーーと思いましたが、身体がだるいとか気分が悪いなどの症状がなかったのでそのまま過ごしました。
 その夜の夕食は、私たちが宿泊しているホテルの近くのレストランで皆で食べました。そこではアウトサイドに席を用意してもらって、道行く人々を眺めながらキャンドルの灯りでロマンティックに?楽しく過ごしました。勿論ビールも飲みましたよ。
 そして誰が頼んだのか、バナナのフライが出てきました。 (`・д・)ぇ? バナナのフライ?揚げ物かいな?
いやいや〜〜〜食わず嫌いはいけません、何でも挑戦しないとね。 食べましたよぉ バナナのフライ
    
   イラネッ(゜Д゜)ノ⌒゜ まずい っと言うか何とも言えない不思議な味でして、もうけっこうです。
時間を割いてお買い物を・・・・・・
 難しいセッションを抜け出してお買い物をしました。
9月のカナダは日本と同じで暑かったです。長袖の洋服しか持って
行かなくて大失敗でした。1000円もしないTシャツを買いました。
時間がないから選ぶ時間もなくて適当なお買い物。

 日差しが強くて眩しいのでサングラスも購入!
これだぁれ?生意気な熟女ですねぇ〜〜

 日蔭は涼しくて、湿気が無いので風が吹くと爽やかでした。
でも暑かったぁという印象ばかりが残っています。

 みんなで夕食を済ませてホテルの部屋に帰ったのが12時くらい
それからシャワーを浴びて写真でも撮るかぁと思いパチリ!
 ここで大笑いのお話しを・・・・・・
パキスタンでは妻を4人まで持てるそうです。そして私たちの前に現れたのが真っ黒なひげを生やした男性がひとり。
「香織はどこどこ?」 さぁ〜〜どこでしょう。 香織ちゃんは( ̄ε ̄〃)やだぁという顔をしています。なになに?どしたのぉ?
事情聴取です!数年前の国際会議の時に、彼は香織ちゃんに「私の2番目の妻にならないか」とプロポーズされたそうな。
 妻を複数持った場合、あちらでは、洋服もアクセサリーも家も生活環境もセックスも全部平等に扱うのだそうです。
いや〜〜〜〜 日本人にそう言われてもねぇ あはは! 香織ちゃんは逃げ回っていました。
今回はベルギーの女性にプロポーズしたそうですよ。ちなみに彼はお医者さんです。 お疲れ様〜〜
アリスさんと一緒に。
会場には各国の患者会のポスターを貼ったりパンフレットを置いたり
できる展示室も用意されておりました。

アメリカでは3万人の患者さんがいて、患者会もアメリカ国内で
150か所もあるそうです。

日本は患者数は800人弱で、患者会は私たちのところだけです。
だから治験も難しくて、アメリカで承認されて使われている薬も
日本では使えません。 

アリスさんがそこでも声をかけてくれてまたパチリ!
 喫煙者の私は会場の外にある喫煙所に通いました。灰皿と言っても日本の灯ろうのような形をしていて、
最初は気がつきませんでした。他の人がタバコを吸ってそこに入れているので、そうなんだぁと思いました。
カナダの女性が ε=Σ( ̄ )ホッ  ここに集まるのはいつも同じ顔ね!って言ったのを今でも思い出します。
garaパーティーです。
 3日目にテーブルパーティーがありました。
少しオシャレをして行きましたよ。初日に会議のチェックインを
するのですが、その時にパーティーの食事の種類を選んで
予約しておきます。

 サーモンとビーフの2種類で私はビーフを予約しました。
ひろし先生はサーモンを・・・・・・

 後半にはバンドが入りダンスが始まりました。同じテーブルの
アスンさんが踊っていたので「ダンスを教えてください」とお願いして
ステップを教わりみんなで踊りました。サルサです。香織ちゃんも
かぁ〜のさんも来て┗|`O´|┛どすんっ!!とね。
 日本からは6人行ったのですが、一緒に座れるテーブルがありませんでした。そこで、ひろし先生がいきなり
「分かれよう」と言って私を引っ張って連れて行かれました。「あにちゃんが席を選ぶんだよ」と言われて(≧◇≦)エーーー?
私は、クリスティアーニさんの顔が見えたので、その席に決めました。そしてテーブルの皆さんのひとりひとりにご挨拶です。
 みな快く握手してくれて仲間に入れました。ひろし先生と一緒だったし、先生も英語が話せるし少し安心気分ですが緊張〜〜

 ひろし先生が「あにちゃん、サーモン食べる?美味しいよ」と私のお皿にサーモンを置いてくれました。カナダと言えばサーモン!
知らなかった〜〜でも美味しかったですよ、あちらのバターが美味しくてテーブルの人たちもバターが美味しいねと言っていました。
 それで私のビーフも大きすぎて、見るだけで圧迫感が・・・・ ひろし先生に半分食べてもらいましたが、お肉が柔らかくて
とっても美味しかったです。アメリカではこんなに柔らかいビーフは食べられないそうです。

私の左側にはカナダのterryさんと言うご高齢の男性が座っておられました。先生が先に話しかけてくれて、私も解ったふりして
お仲間入りです。Terryさんは「日本人は箸を使うものとばかり思っていたが、あなたのフォークとナイフの使い方はとても
上手で綺麗に食べる」とほめていただきました。

 ひろし先生が皆と引き離してくれたおかげで、アスンさんにダンスを教わったり、解らないながらも会話が出来て、とても良い
チャンスをもらいました。ダンスの時には私は、あるだけの勇気を振り絞ってアスンさんに教わり壇上に上がって踊った事もない
ダンスを踊りました。香織ちゃんが「私たちが社交的で良かった」と言ってくれました。アジア人は暗い印象がありますからね。

 アスンさんの正体を聞いてびっくり!彼女は本拠地であるアメリカの患者会の会長さんでした。 おっとっとーーーーー!
ホテルの展望台レストランからの夜景です。
 メニューがぁあああああ 遠く離れていく〜〜〜
ホテルの40階にレストランがあり、そこで最終日に反省会をしました。

 このラストランは回転しているのを知らなくて、中が暗いので老眼の
私にはメニューが見えなかったのです。
窓際にメニューを置いて見ていたら自然に私の身体が後ろを向いてしまいます。なんで?

 疲れるメニューだなぁ動いているのかなぁ?
動いているのは私でした。席が動いているのでメニューはそのまま
気がつくのが遅いのよねぇ まったくぅ〜〜!
 会議の最終日は反省会をしました。香織ちゃんと、ひろし先生は会議の内容をシッカリと把握していて、こんな事言っていた
こんな発表があったなどを話してくれました。そして人権を考えての死の選び方、細胞とはこうやって出来ているんだよ。
 
 私が外国の人から聞きたかった悲惨な介護はあるのか?香織ちゃんが、もっと早く行ってくれれば聞いたのにと(ノ_<。)クッ 
色々話しているうちに、自分の介護の話しを始めたら、あの頃を思い出してしまって涙が出てきました。
本当に外国に居ながら、自分の患者会のメンバーに心を開いて話せた事も収穫のひとつでした。

 ひろし先生が、「景色も2回りもした事だし、そろそろ寝ようかぁ」と言う一言で時間を見たら12時近かったのでビックリ!
部屋に帰る前にフロントに行ってネットカードを香織ちゃんと一緒に購入しました。 使い方を一度教わったのですが
やっぱり忘れてるぅ〜〜。夜中の1時半!香織ちゃんの部屋に電話「あのぉ〜〜 解らないぃ」
香織ちゃんはすぐに私の部屋に来てくれて接続完了。「あにちゃんお風呂に入ったの?」「うん、入ったよぉ」
「全然変わらないねぇ」 (* ̄○ ̄)ガッ!素顔を見られた? うかつだった!他人には絶対に見せられない顔なのに。
カナダを発つ日の朝です。
 カナダを発つ日の朝、アリスさんと妹さんのナンシーさんが
私たちのホテルまで来てくれました。お別れ前に朝食をと。
 近くのレストランで朝食を摂りながらお話しをしました。
ここのオレンジジュースが美味しくて、苦手だったオレンジジュース
が飲めるようになりました。でも日本ではやはり飲めませんです。

 アリスさんは学者さんです、妹さんのナンシーさんは投資家と
聞きました。ナンシーさんはベネズエラで取材をして、この難病が
もしかしたらベネズエラのある村が発生の地かもしれない。
確実で詳しい話しを聞いていないのでわかりませんが、ここまで
突き止めるのは、かなりの努力が想像されます。

 朝食は2時間半と長い時間楽しい時を過ごしました。ナンシーさんがごちそうしてくれました、ごちそうさまでした。
レストランの表に出て、お別れのハグ ハグ ハグ・・・・・・・
外国では出会いとお別れに握手とハグの習慣がありますが、実際に経験するとすごく信頼感がわいてきて安心します。
会議会場でも最終日のお別れの時には、沢山の人たちとハグでお別れをしました。

 「オーストラリアで逢いましょう」が合言葉みたいになっていました。
また同じ顔ぶれがそろうように祈っています。 2011年の国際会議はオーストラリアです。

 いろんな面で私をフォローしてくれた皆さんありがとう。
頑張った自分にありがとう。  オーストラリアであいましょ〜〜〜

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