2009年の国際会議に参加してきました。 私のかかわっている難病の患者会の本拠地はアメリカにあります。2年に一度ヨーロッパ諸国で国際会議が開かれます。 私は夫を病院に預かってもらっていますので、今回の国際会議に参加することができました。 約1000人という参加者で大会議となりました。 2009年9月11日の19時の飛行機で成田を発ち、9月11日の午前11時にバンクーバー空港に到着しました。 会議の初日には、カナダの患者会の会合に、かぁ〜のさんと紛れ込んでしまいました。でも、それがラッキーでした。 そんな感じで嬉しい出会いから始まり、各セッションに分かれて会議がはじまりました。 私は参加者の中に発症している人をみて、あっ!! 私 ひとりじゃない! そう感じました。 |
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会場ホテルの朝食です。 | ||
これは、ひろし先生の朝食です。バイキングで色々ありました。 私たちも好きなものを食べましたよ。 私は、スクランブルエッグとソーセージが好きなので そればっかり食べていました。 グリーンアスパラも美味しかったです。 ホテルのコーヒーはまずいよぉ〜〜飲まない方がいいよ! って聞いていたので、コーヒーは2種類あってスターバックスの コーヒーを飲みました。 私はいつもお水を飲んでいましたねぇ。 |
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会場ホテルには、朝食・昼食のバイキングと、クッキーやアイスクリームやケーキなども常に置いてあって食べ放題でした。 私は確か3日目くらいだったでしょうか、朝食を摂ってからそのあと何も食べられなくなり、コーヒーも水も飲めなくなりました。 これはやばいなーーと思いましたが、身体がだるいとか気分が悪いなどの症状がなかったのでそのまま過ごしました。 その夜の夕食は、私たちが宿泊しているホテルの近くのレストランで皆で食べました。そこではアウトサイドに席を用意してもらって、道行く人々を眺めながらキャンドルの灯りでロマンティックに?楽しく過ごしました。勿論ビールも飲みましたよ。 そして誰が頼んだのか、バナナのフライが出てきました。 (`・д・)ぇ? バナナのフライ?揚げ物かいな? いやいや〜〜〜食わず嫌いはいけません、何でも挑戦しないとね。 食べましたよぉ バナナのフライ イラネッ(゜Д゜)ノ⌒゜ まずい っと言うか何とも言えない不思議な味でして、もうけっこうです。 |
時間を割いてお買い物を・・・・・・ | ||
難しいセッションを抜け出してお買い物をしました。 9月のカナダは日本と同じで暑かったです。長袖の洋服しか持って 行かなくて大失敗でした。1000円もしないTシャツを買いました。 時間がないから選ぶ時間もなくて適当なお買い物。 日差しが強くて眩しいのでサングラスも購入! これだぁれ?生意気な熟女ですねぇ〜〜 日蔭は涼しくて、湿気が無いので風が吹くと爽やかでした。 でも暑かったぁという印象ばかりが残っています。 みんなで夕食を済ませてホテルの部屋に帰ったのが12時くらい それからシャワーを浴びて写真でも撮るかぁと思いパチリ! |
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ここで大笑いのお話しを・・・・・・ パキスタンでは妻を4人まで持てるそうです。そして私たちの前に現れたのが真っ黒なひげを生やした男性がひとり。 「香織はどこどこ?」 さぁ〜〜どこでしょう。 香織ちゃんは( ̄ε ̄〃)やだぁという顔をしています。なになに?どしたのぉ? 事情聴取です!数年前の国際会議の時に、彼は香織ちゃんに「私の2番目の妻にならないか」とプロポーズされたそうな。 妻を複数持った場合、あちらでは、洋服もアクセサリーも家も生活環境もセックスも全部平等に扱うのだそうです。 いや〜〜〜〜 日本人にそう言われてもねぇ あはは! 香織ちゃんは逃げ回っていました。 今回はベルギーの女性にプロポーズしたそうですよ。ちなみに彼はお医者さんです。 お疲れ様〜〜 |
アリスさんと一緒に。 | ||
会場には各国の患者会のポスターを貼ったりパンフレットを置いたり できる展示室も用意されておりました。 アメリカでは3万人の患者さんがいて、患者会もアメリカ国内で 150か所もあるそうです。 日本は患者数は800人弱で、患者会は私たちのところだけです。 だから治験も難しくて、アメリカで承認されて使われている薬も 日本では使えません。 アリスさんがそこでも声をかけてくれてまたパチリ! |
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喫煙者の私は会場の外にある喫煙所に通いました。灰皿と言っても日本の灯ろうのような形をしていて、 最初は気がつきませんでした。他の人がタバコを吸ってそこに入れているので、そうなんだぁと思いました。 カナダの女性が ε=Σ( ̄ )ホッ ここに集まるのはいつも同じ顔ね!って言ったのを今でも思い出します。 |
garaパーティーです。 | ||
3日目にテーブルパーティーがありました。 少しオシャレをして行きましたよ。初日に会議のチェックインを するのですが、その時にパーティーの食事の種類を選んで 予約しておきます。 サーモンとビーフの2種類で私はビーフを予約しました。 ひろし先生はサーモンを・・・・・・ 後半にはバンドが入りダンスが始まりました。同じテーブルの アスンさんが踊っていたので「ダンスを教えてください」とお願いして ステップを教わりみんなで踊りました。サルサです。香織ちゃんも かぁ〜のさんも来て┗|`O´|┛どすんっ!!とね。 |
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日本からは6人行ったのですが、一緒に座れるテーブルがありませんでした。そこで、ひろし先生がいきなり 「分かれよう」と言って私を引っ張って連れて行かれました。「あにちゃんが席を選ぶんだよ」と言われて(≧◇≦)エーーー? 私は、クリスティアーニさんの顔が見えたので、その席に決めました。そしてテーブルの皆さんのひとりひとりにご挨拶です。 みな快く握手してくれて仲間に入れました。ひろし先生と一緒だったし、先生も英語が話せるし少し安心気分ですが緊張〜〜 ひろし先生が「あにちゃん、サーモン食べる?美味しいよ」と私のお皿にサーモンを置いてくれました。カナダと言えばサーモン! 知らなかった〜〜でも美味しかったですよ、あちらのバターが美味しくてテーブルの人たちもバターが美味しいねと言っていました。 それで私のビーフも大きすぎて、見るだけで圧迫感が・・・・ ひろし先生に半分食べてもらいましたが、お肉が柔らかくて とっても美味しかったです。アメリカではこんなに柔らかいビーフは食べられないそうです。 私の左側にはカナダのterryさんと言うご高齢の男性が座っておられました。先生が先に話しかけてくれて、私も解ったふりして お仲間入りです。Terryさんは「日本人は箸を使うものとばかり思っていたが、あなたのフォークとナイフの使い方はとても 上手で綺麗に食べる」とほめていただきました。 ひろし先生が皆と引き離してくれたおかげで、アスンさんにダンスを教わったり、解らないながらも会話が出来て、とても良い チャンスをもらいました。ダンスの時には私は、あるだけの勇気を振り絞ってアスンさんに教わり壇上に上がって踊った事もない ダンスを踊りました。香織ちゃんが「私たちが社交的で良かった」と言ってくれました。アジア人は暗い印象がありますからね。 アスンさんの正体を聞いてびっくり!彼女は本拠地であるアメリカの患者会の会長さんでした。 おっとっとーーーーー! |
ホテルの展望台レストランからの夜景です。 | ||
メニューがぁあああああ 遠く離れていく〜〜〜 ホテルの40階にレストランがあり、そこで最終日に反省会をしました。 このラストランは回転しているのを知らなくて、中が暗いので老眼の 私にはメニューが見えなかったのです。 窓際にメニューを置いて見ていたら自然に私の身体が後ろを向いてしまいます。なんで? 疲れるメニューだなぁ動いているのかなぁ? 動いているのは私でした。席が動いているのでメニューはそのまま 気がつくのが遅いのよねぇ まったくぅ〜〜! |
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会議の最終日は反省会をしました。香織ちゃんと、ひろし先生は会議の内容をシッカリと把握していて、こんな事言っていた こんな発表があったなどを話してくれました。そして人権を考えての死の選び方、細胞とはこうやって出来ているんだよ。 私が外国の人から聞きたかった悲惨な介護はあるのか?香織ちゃんが、もっと早く行ってくれれば聞いたのにと(ノ_<。)クッ 色々話しているうちに、自分の介護の話しを始めたら、あの頃を思い出してしまって涙が出てきました。 本当に外国に居ながら、自分の患者会のメンバーに心を開いて話せた事も収穫のひとつでした。 ひろし先生が、「景色も2回りもした事だし、そろそろ寝ようかぁ」と言う一言で時間を見たら12時近かったのでビックリ! 部屋に帰る前にフロントに行ってネットカードを香織ちゃんと一緒に購入しました。 使い方を一度教わったのですが やっぱり忘れてるぅ〜〜。夜中の1時半!香織ちゃんの部屋に電話「あのぉ〜〜 解らないぃ」 香織ちゃんはすぐに私の部屋に来てくれて接続完了。「あにちゃんお風呂に入ったの?」「うん、入ったよぉ」 「全然変わらないねぇ」 (* ̄○ ̄)ガッ!素顔を見られた? うかつだった!他人には絶対に見せられない顔なのに。 |
カナダを発つ日の朝です。 | ||
カナダを発つ日の朝、アリスさんと妹さんのナンシーさんが 私たちのホテルまで来てくれました。お別れ前に朝食をと。 近くのレストランで朝食を摂りながらお話しをしました。 ここのオレンジジュースが美味しくて、苦手だったオレンジジュース が飲めるようになりました。でも日本ではやはり飲めませんです。 アリスさんは学者さんです、妹さんのナンシーさんは投資家と 聞きました。ナンシーさんはベネズエラで取材をして、この難病が もしかしたらベネズエラのある村が発生の地かもしれない。 確実で詳しい話しを聞いていないのでわかりませんが、ここまで 突き止めるのは、かなりの努力が想像されます。 |
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朝食は2時間半と長い時間楽しい時を過ごしました。ナンシーさんがごちそうしてくれました、ごちそうさまでした。 レストランの表に出て、お別れのハグ ハグ ハグ・・・・・・・ 外国では出会いとお別れに握手とハグの習慣がありますが、実際に経験するとすごく信頼感がわいてきて安心します。 会議会場でも最終日のお別れの時には、沢山の人たちとハグでお別れをしました。 「オーストラリアで逢いましょう」が合言葉みたいになっていました。 また同じ顔ぶれがそろうように祈っています。 2011年の国際会議はオーストラリアです。 いろんな面で私をフォローしてくれた皆さんありがとう。 頑張った自分にありがとう。 オーストラリアであいましょ〜〜〜 |
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