2007年 (H19)1月31日午前7時30分
母は、78歳まで生きてくれました。

私は、母とすすむちゃんの存在で生きがいを見つけて人生を過ごしてきました。

 それでも、すすむちゃんの方が大変で、母の介護を出来ませんでした。
入院したと聞いても、行く気になれませんでした。
すすむちゃんの症状が悪化するにつれて、実家に帰る余裕がありませんでした。

 でも、母は私を待っていてくれるのは、充分に分かっていました。
母に会いに行っても、病気で弱っている母を見るのは忍びなかったのです。
東京では、病気のすすむちゃん、実家では弱っている母・・・・
どこへ行っても、私の休む場所はありませんでした。

 お兄ちゃんから、時々電話があって、母の状況を耳にしていました。
病院に入っているならいいか・・・・・・
そんな軽い気持ちだったけど、どこかで心配が重なっていました。

 お兄ちゃんからある日電話があった時、「おふくろは俺じゃダメなんだ、食事の心配をしたりするし
お前なら話しも弾むだろうけど、俺じゃ気を使ってばかりいるんだ」
やはり母からは子供はいつまでも子供、男の子ならなおさら「世話をしなくちゃ」と思うのでしょう。
 母は私と会うと、とても喜んでくれて、自分の言った事に大受けして大きな声で大笑いします。
そのしわくちゃな笑顔、大きな笑い声、時々遠くを見つめて寂しそうな顔。。。。。。

 母に会った後は、空しさが私を襲い、これがまた私にはガマンと言う言葉で
自分の中に入りこんできます。またまた重いのであります。
「お母さんただいま!」と元気よく帰り、一日ではなくて1週間でも母と一緒に居たかったな。
東京に重荷を背負っている私には、それができません。
母は寂しがる、私は、後ろ髪引かれながら東京へ・・・・

 母の具合が急変して、大きな病院に転院してからも
すぐに行こうと思っても、母を見るのが辛くて伸び伸びにしていました。
そして、お兄ちゃんから「おふくろが危ない、すぐ行け」と電話。

 結局、お兄ちゃんも私も遠くて、母は、病院の先生に看取られながら逝ってしまいました。
私は悔しかった。あまり長く無いと聞かされながら、家族に看取られずに
一人で逝った母に、どう謝ればいいのか? どう償えばいいのか?

 亡くなる一月前に会いに行ったときには、死に目に会いに行ったみたいでした。
あまりにも弱っている母の姿、私の頭は真っ白になりました。
それもショックでした、日を改めて叔母といとこと一緒にまた会いに行ったときに、母は大好きな
 お寿司・カステラ・大好きなマグロのおさしみを食べてくれました。ほんの少しだけ・・・・
笑顔を見せてくれて、「おいしいよぉ」と、息苦しそうに言いました。
それが母の食べる楽しみの最後でした。

 母を送り出して、片付けを始めた頃、母の日記が出てきました。
書くことが大好きだった母は、何年間も日記をつけていました。

 もう、入退院を繰り返し始めた頃、ヘルパーさんの介助で生活していた頃。
寂しかったんだろうなぁ、寂しかったと書いてありました。

「日曜日だからお兄ちゃんがくるかな?」
「お寿司が食べたいよぉ お兄ちゃんに韮崎に行ってもらって食べよう」
「娘は、旦那さんが大変だし、元気でやっているのかな?」
「手紙を一通でも、電話一本でもくれないかな」
「寂しい 寂しい 美味しいもの食べたいよぉ」
「すすむちゃんが病気で可愛そうだ、二人で来て欲しい」

 母の日記には、私への心配と、寂しい・美味しいもの食べたい
娘や息子に世話になるのなら、自分で身の回りのことを出来るように
シッカリしないと、などと毎日のように記されていた。

 どれほど寂しかったか、不安だったか、今、思うだけでも胸がつまり涙がまたあふれます。
そして、すすむちゃんを病院に預けた時のように、私は自分を責めました。
こんなに親不孝して、死に目にもあえずに。

 母が亡くなってから、実家に行く事が楽になった自分をまた責めました。
病気の母を見なくて済む。元気な頃の母の思い出を、実家の片付けで
あ〜だった、こ〜だったと思い出します。
そんな自分を、なんてバカなのかとまた責めます。

 私は結局、すすむちゃんを理由に、母を診なかったのです。
自分が、うつ病と診断されて、それにも甘えていたのもあります。
 外に出たくても、出る勇気がない。外出は命がけみたいな変な病気です。
親不孝しただけ、すすむちゃんには尽くそう。
それで許して欲しいなんて身勝手なお願いしたりして。

 もう、すすむちゃんしか居なくなってしまいました。
すすむちゃんが逝ってしまったら、私も後を追いたい、あちらでは家族で元気な生活をしたい。

しか〜し!自殺では天国にいけない、すすむちゃんの後に私は

すぐに病気になるように・・・ (^人^ (^人^ ) なんまいだー  お願いだーーー

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